godonたんぶら

strrap:

「Is the order a rabbit? Ⅲ」/「Koi」の作品 [pixiv] #pixitail
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「【COMIC1新刊】キリマンジャロ一杯いかがですか?」/「すず@COMIC1☆8と46a」の作品 [pixiv] #pixitail
meime1:

「Do you want to fight with me?!」/「kazenokaze」のイラスト [pixiv]
echizenya-masuke:

Twitterらくがきまとめ・その11 | 無道叡智 [pixiv]
40歳くらいまでは人間は性欲があるので、暇な時もエロいことを考えてなんとかなるらしいのですが、40歳を過ぎると性欲が減退してくるので、エロイことを考えることも出来ず、酒に溺れていくケースがサブカル界隈ではすごく多いのだそうです。そんな時に、自分が情熱を持って深掘りした知識をその年できちんと自習して、今風の知識に再利用可能にするということが、長くサブカルで食う上で重要になる。これは読んでて深いとおもいました。切なくもありましたが。
acqua:

(via 【艦これ イラストコラム】艦娘及ビ艦船大図鑑 其ノ035 高雄/エストライブ - コミニー[Cominy])
ましろです! - 二次元裏@ふたば
ましろです! - 二次元裏@ふたば
貧乏学生の素朴な質問だけど、びっちゃけ野良犬とか野良猫って喰ってもいいの?:マジキチ速報 |2ちゃんねるまとめブログ
キルミーベイベーのや - 二次元裏@ふたば
▼査読(レビュー)って何か,というと,オイラこんな論文かいたよー,じゃチェックしてー,っていって同じ専門領域の別の研究者によって匿名でチェックを受ける,というシステムです.「この論文は水準に達してるからこの雑誌に載せていいですよ」「この論文は手続きとかおかしいからダメー」とか,まあ控えめに言ってもフルボッコにされるってシステム.

▼雑誌ってのは日本語で言うと一つの単語ですが,JournalとMagazineにわかれます.で,専門家ばかりが読むものがジャーナルっていいます.まあてきとうにいって.で,「査読付き論文」をどれだけ持っているか,が研究者としてのありかたを評価する一つの指標でもあります.だってクソエッセイを書いて論文でござい,と言われちゃ困るでしょ.

▼査読者は普通,複数人います.でも,俺から…つまり執筆者からは誰がチェックしてんのかはわかんないシステムになってるんですね.

▼査読システムの問題点はいろいろ指摘されています.俺じしん,とんでもない誤読満載&お前最新の状況全く知らねえだろ,みたいな査読をもらって,あたまにきて別の学会誌に出したらサクッと載ったって経験があって笑ったんですが(苦笑),まああれもいい経験でした.査読もらった後,メタレビュアー(査読者を選ぶひと)から「すみませんごめんなさい」みたいなメールもらったことありますがまあ全部ガン無視だよね(ぇ

▼今回の論文,結構マニアックなところをついているので,おそらく読める人は日本に3人くらいしかいないと思います.もちろん俺のテーマとして,なるべくキャッチー,というのは心がけてるんですが,中身の深いところまで読もうとすると,どうしても専門領域が狭くなってしまう.

▼誰が査読したかわからない,誰が執筆したかわからない.ということが,公平性を担保しています.偉い人だろうがダメなヤツだろうが,文章そのもので評価される.もちろんぶっ飛んだ,現代の研究者コミュニティで理解されない,後世にとって素晴らしい研究結果を出した場合,それが査読者が理解できるかは別です.でも,いまのシステムで「おおむね」うまくいっている.


▼今回は,いい査読をいただきました.文字通りフルボッコ(笑)でも,ゆっくり読んで,参考資料をじっくり読解していくと,「あ,そういう意図で査読したのか」と,いろいろわかってくる,いい査読でした.今回の査読には,本当に感謝してる.査読者にも腕がいるんだなあ,とつくづく思ったものです.

▼査読結果の文章を読んで,もちろんボコボコにされるわけなので腹が立ちますがw でも,ゆっくり読み込んでいくと,どこかしら,ある先生の匂いが見えてくるんです.文体句読点の打ち方.漢字の開き方.もしかすると,この人は学部生のときに俺をさんざん批判,アドバイスしまくってくれたかたなんじゃないかな,とか.あるいは別の大学だけれども,なんかこの人の書く文章はおもしろいなあ,と思って追いかけまくってた人なんじゃないかな?とか.

▼もし仮にその人が書いた文章だったとしたら,その人がどれだけ苦闘してこれまでの研究を行なってきたか,というのは多少知っているつもりです.ピンポイントでオイラの問題点を指摘してくるもんねえ(苦笑

▼だからこそ,重みがあります.そういうとき,学問としての「贈与」を身体的に実感します.モースの贈与論じゃないですが,後世に伝えるための,踏み台にされるための発話.そういう繰り返しが,きっとあるんだと思います.

▼ぼくも踏み台にされますように.踏み台にできるだけの台の高さがもてますように.